今回は帝国議会とは? 初めての選挙と議会について、日本の歴史を紹介します。

初めての選挙

憲法が出されたので帝国議会が開かれることになりました。
そこで、1890.年(明治23年)7月に初めての衆議院議員の総選挙が行われました。

この選挙は、初めてのことでしたので、みんな熱心に選挙したため棄権した人は、割合い少なかったといわれています。

こうして、最初の衆議院議員が決まりました。

立憲自由党(1884年に解散されたが90年に再興、批垣により立憲自由党を結成まもなく自由党と解明)と
立憲改進党とがカ合わせて171名の議員を送りました。

自由党も改進党も政府に反対の立場をと考える政党でしたから全議員300名のうち半分以上が政府に文対することになったわけです。

これでは政府もこまりました。

はじめての議会

国民が長く待ち望んだ第一回の帝国議会は1890年(明治32年)11月29日東京日比谷の議事堂で開かれました。

貴族院の議長には伊藤博文、衆議院議長には中島信行が選ばれました。
このとき、政治の中心となったのは力のある人々でした。

内閣をつくっていたのは長州藩から出た陸軍大将山県有朋でした。

山県は政党の政治は日本のためによくないと考え政府は政府の考えで政治を進めるべきであると固く信じていました。

しかし政党は、国民のための政治を考えて議会を開くべきだと激しく政府にぶつかりました。

政府は毎年の予算を決めるためには議会にかける必要があります。
政府に反対する自由党や改進党は政府がだした予算を中々、聞き入れませんでした。

予算が増えると、税金が多くなって国民が困るからです。
そこで政府と反対党との間に激しい争いが繰り返されました。

特に議会は海軍がもとめた軍艦をつくる予算を削りました。
そこで、政府は第二回の帝国議会で議会の解散を行いました。

これは政党を抑える政府の奥の手です。
このために1892年(明治25年)2月第二回目の総選挙が行われました。

選挙干渉

第二回の総選挙のとき内務大臣品川弥二郎と次官白根専一は地方長官に命じて自由党や改進党の選挙の邪魔をさせました。

このように政府の役人や警官が選挙の邪魔をすることを選挙干渉といいます。

役人や警官たちは、大っぴらに干渉に乗り出しお金をばらまいて買収したり乱暴して血を流す騒ぎまでおこしました。

帝督に、熊本・佐賀・富山・石川・高法知・鹿児島の諸県と東京・大阪では、激しい干渉が行われました。

そのために、全国で25人の死者と388人の怪我人がでました。
これは、日本の議会の歴史を汚した悪い行いとして後までも激しい非難を受けました。

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