今回は義和団事件や日英同盟ついて、日本の歴史を紹介します。
日露戦争ロシアは三国干渉によって遼東半島な日本の手から奪い取りました。
そして、中国の領土である満州へどんどん、勢いを伸ばしてくるようになりました。
義和団事件とは?
清は、もと「眠ったライオン」と呼ばれ世界中から恐れられていました。
それが日清戦争で日本に負けたためにロシアばかりでなく、世界の大きな国々がこのときとばかりに中国へ押しかけてきて中国に自分たちの勢いを打ち立てようとしました。
ロシアは北から、フランスは南からイギリス・アメリカ・日本は東から勢いを伸ばしていきました。
そして、中国の大事な町や港を借り受けて、まるで自分のもののようにしてしまいました。
このままでは、中国はまるで、よその国々の植民地のようになる恐れがありました。
こういうときにおこったのが義和団事件です。
1899年(明治32年)中国の農民たちが国内から外国の勢力を追い払おうとして暴動をおこしたのです。
日本・イギリス・ロシアをはじめ八つの国が義和団の乱を鎮めるために清に軍隊を送りました。
やがて乱は鎮まり、各国は軍隊を引き上げました。
しかし、ロシアは軍隊を満州(今の中国東北部)にとめておき満州からさらに朝鮮にまで、勢いを伸ばしてくるようになりました。
日英同盟とは?
ロシアが、満州から朝鮮へと手をのばしてきたことは同じように朝鮮から満州へ手をのばそうとしていた日本にとって、ほうっておけない大きな問題です。
けれども、日本には一国たけでロシアと戦争する力はありません。
なるほど日本は「臥薪嘗胆」という合言葉でロシアとの戦争の準備をしてきましたがロシアは世界一といわれた大陸軍をもつ国です。
こういう国と味方もなしに戦うことはできません。
そこで日本は1902年(明治35年)一月イギリスとの間に日英同盟を結びました。
日本がロシアと戦争をするときにはイギリスから助けてもらうという約束を結んだのです。
イギリスはロシアがアジアで勢いを伸ばすのを、心配していました。
イギリスは、できれば日本とロシアを戦わせ日本の力でロシアの力を弱めてほしいと思ったのです。