今回は日韓併合について、日本の歴史を紹介します。

桂・タフト協定と第二次日英同盟

ポーツマス条で、朝鮮の指導と監督は日本がするということが決められました。
それは、ゆくゆくは日本が朝鮮を併合する(日本の領土にする)というふくみをもっていたのです。

しかし朝鮮を併合するためには朝鮮に対しても、日露戦争で日本の味方なしてくれたイギリスやアメリカに対してもちゃんとした順序を踏まなければなりません。

日本は、1905年7月アメリカの陸軍長官タフトが日本に立ち寄ったとき桂首相とタフトの名で次のような約束をしました。

日本がアメリカの植民地であるフィリピンを侵略しない代わりにアメリカは、日本の朝鮮併合を認めるという取り決めです。

イギリスとは、8月に日英同盟を改めたときイギリスの植民地であるインドでイギリスに対する反乱がおこったときにはイギリスな助けること。

その代わりに、イギリスは日本の朝鮮併合を認めるという約束をしました。
これで、イギリスとアメリカとの間の約束を終えたので、こんどは朝鮮にむかって、併合の準備を進めました。

日韓併合とは?

日本はまず、1905年11月朝鮮に統監という役をおきました。
統監といのは、朝鮮を指導したり監督したりする役です。

統監をおいたことは日本にとっては、もちろん併合にむかっての第一歩でした。
しかし、朝鮮の国民は日本に反抗しました。

はじめの統監は伊藤博文でしたが1909年(明治42年)伊藤博文はロシアに行く途中ハルビン駅で安重根という朝鮮人にピストルで撃たれて殺されました。

この事件のため、日本は朝鮮の併合を急ぎました。

次に統監に任命された寺内正毅は警察を日本に任せるよう朝鮮に要求し、これまで日本から送っていた憲兵を増やして朝鮮の警察をこの下におきました。

そして、1910年(明治43年) 5月30日、日本はとうとう朝鮮を日本に併合してしまいました。

これを日韓併合といいます。

韓というのは、そのころの朝鮮の国名です。

遠い昔から、大陸の文化を日本に伝える仲立ちをしてきた朝鮮は、このときから日本の領土となり
朝鮮の民族は1945年(昭和20年)8月15日まで35年の間独立を失っていたのです。

韓国を併合した日本は朝鮮を足がかりとして、さらに大陸へ大きな力を伸ばすようになりました。

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