今回は我慢できない安静条約 治外法権の苦しみについて、日本の歴史を紹介します。
我慢できない安政条約
外国と結んだ通商航海条約(安政条約) は外国人に治外法権な認め日本に関税自主権がないもので日本に不利な独立国としての権利を充分に認めない、不平等条約でした。
この条約が、そのまま明治政府にも受け継がれました。
しかし、外国との貿易や、その他の付き合いが盛んになり日本人の知識もすすんでくると、この条約は、とうてい日本人の我慢できないものになりました。
治外法権の苦しみ
外国商人と日本と商人との取り引きで外国人はしばしば約束を破ったり不正なことをやりました。
けれども治外法権があるために日本人はこれを日本の裁判所へ訴えることもできません。
外国の領事に訴えでたとしても領事はけっして公平な裁判をしないので日本人は泣き寝入りしました。
アヘン密輸事件
1878年(明治11年) イギリス人ハートレーは条約で輸入を禁止されているアヘンという麻薬をこっそり輸入しました。
それを税関で見つけましたが日本の法律では、とりしまることはできません。
イギリスの領事裁判は関税さえ払えばかまわないと判決をくだしました。
これも治外法権のためです。
コレラと条約
また外国船の行き来が盛んになると伝染病の持ち込みを防ぐ検疫制度が必要となります。
1878年にコレラが大流行したので政府は検疫を定めました。
しかし、各国の船はこれ守ろうとしませんでした。
そのほか、外国人は、むやみに鉄砲で狩りをして畑を踏み荒らしたり、誤って人を撃ったりしても、平気でいました。