今回はノルマントン号事件について、日本の歴史を紹介します。
ノルマントン号事件とは?
1886年(明治19年)10月イギリスの貨物船ノルマントン号が和歌山県の大島付近で、沈没しました。
その船には、イギリス人の船長や船員の他に日本人の旅客が23人乗っていました。
船が沈みはじめると、船長や船員は、すぐボートに乗って逃げましたが日本人は船室に閉じ込められたまま、ひとり残らず海の底に沈んでしまいました。
世界のどこの国の法律でも、こんなときには、まず第一に客を助けるのが船長の勤めです。
そこで、この船長を神戸のイギリス領事が調べました。
船長は「日本人に、早くボートへ移れと命令したが日本人は英語がわからないので命令に従わなかった」と言い訳をしました。
領事はその言い訳を認めて船長な無罪にしました。
日本の国民は、歯ぎしりをして悔しがりました。
政府は、この船長を殺人罪だといって横浜のイギリス領事に訴えました。
裁判の結果、船長に少しいけないてんがあったということで懲役3ヶ月という、軽い罰で済みました。
死んだ日本人には一銭の見舞い金も、払われませんでした。
関税と日本の産業
また安政条約では、外国からの輸入品に自由に関税をかける権利、つまり関税自主権がなかったので
日本はたいへん損をしました。
江戸幕府は外国に脅かされて外国の言いなりに輸入税をほとんどタダのように安く決めました。
明治になっても外国は関税な高くすることを承知しません。
そこで、貿易は盛んになっても関税の収入は、たいして増えません。
また、外国から安い物がどんどん入ってくるので日本の物が売れず国の産業を守ることもできません。