今回は第一次世界大戦とは?
その頃の日本と日本の参戦の経緯について、日本の歴史を紹介します。


大戦がはじまる

皇太子が殺されるとオーストリアはセルビアに戦争を仕掛けました。

これをきっかけにオーストリアと結んでいるドイツとセルビアと結んでいるロシアとの間にも戦争がはじまりました。

やがて、ロシアと結ぶイギリス・フランスがこれに加わってドイツと戦争をはじめました。
このようにヨーロッパはあっというまに大戦争の渦に巻き込まれてしまいました。

こうして、第一次世界大戦がはじまったのです。
イギリス・ロシア・フランス側は連合国と呼ばれドイツとオーストリア側は同盟国と呼ばれました。

このころの日本

日本は、ロシアとの戦争に勝ち朝鮮を併合したことによって、このころ極東では最も強い国となっていました。

ヨーロッパの各強国はもはや日本の力を見逃すことができなくなりました。

そして、お互いにヨーロッパで勢力争いをするためには極東で、日本と事件を起こさないことがなによりも安全だと考えていました。

そこで、ロシアも日本との間に協約を結びフランスもまた、日本に近づいてきました。
日本は、ますます自分の力を信じるようになりました。

そんなときに、世界大戦が起こったのです。

日本の参戦

日本は、前々からイギリスと同盟を結んでいました。
イギリスが戦争に加わったのが8月4日、それから20日ほど経ったばかりの8月23日、日本はドイツ・オーストリアの同盟国に宣戦をしたのです。

では、なぜ日本がドイツに戦争をしかけたのでしょうか。
それは、日英同盟を結んでいたためだと言われています。

なるほど・イギリスは日本に援助を求めてきはしました。
しかし、それは戦争に加わることを義務づけたのではありませんでした。

日本が戦争に加わったのは日英同盟の義理からだということにして本当の目的は、この機会に中国へ一層強い足場を築こうとしたからなのです。

日本は日露戦争ののち満州と朝鮮半島に強い力を受けていましたが、その勢いを、さらに中国本土へも伸ばそうと狙っていたときだったからです。

日本はドイツに宣戦をするとただちに、中国におけるドイツの根拠地である山東省の膠州湾を攻撃しましてこれを占領し、まと海軍は、赤道の北にあるドイツ領の南洋群島を占領して極東から、ドイツの勢力を追い払いました。

中国では、これよりさき1911年に孫文らによって革命が行われ300年近く続いた清が滅ぼされて1921年、中華民国という新しい国ができました。

しかし、まだ国内は完全には統一しておらず国力も弱かったのです。

そこへ、第一次世界大戦がおこり日本が山東半島に軍隊を送ったのですから中国は当然、日本の軍事行動に対して攻撃しました。

そして、イギリスやフランスも日本の出兵を決して喜んではおらず、なにか野心があるのではないかと感じはじめました。