今回はニ十一か条の要求について、日本の歴史を紹介します。


ニ十一か条の要求

このような日本の中国に対する野心は、たちまち明らかな形となってあらわれました。

1915年(大正4年)日本の政府は、世界大戦がおこったため世界の国々の極東に対する関心が薄くなったのを幸いに早速、中華民国政府に向かって二十一か条の要求を突きつけました。

これは、山東省にドイツがもっていた権利を日本に譲ってほしいとか満州や内蒙古で、日本が持っていた権利を今までより増やしてほしいとか中国の政治や財政軍事の顧問(相談を受ける人)に日本人を雇い入れることなど、まるで、中国の独立を踏みにじるような要求でした。

そして、中国の政府も民衆もこのとても受け入れることのできない厳しい要求に対して一斉に強い反対運動をおこしました。

それまでごたごた、内輪もめしていた中国が国全体で団結して抗議したのです。

中国ばかりでなく、イギリス・アメリカも日本政府のやり方を非難しましたが大戦の最中でしたので口先だけで終わりました。

また、中国も、武力で日本の要求を退けることはできませんでした。
これを見て日本政府は無理やりにこの二十一か条の要求のほとんどを中国政府に認めさせました。

これは1915年5月9日のことです。

中国人の間には、これをきっかけとして日本を憎む心が、急に激しく燃え上がりました。

そして、5月9日を「国恥記念日」(国がはずかしめなうけた記念の日)としていつまでも忘れませんでした。

日本の政府は、これでともかくもその目的を遂げたのですが日本と中国との間のわだかまりはあまりにも強く、また深く染み込んでしまいました。