今回は九か国条約について、日本の歴史を紹介します。
九か国条約とは?
世界の強国となったアメリカとしては日本だけが、ヨーロッパの勢力を押しのけて中国で勢いを伸ばそうとしていることを喜んでいませんでした。
ですから、日本が中国に無理やりに二十一か条の要求を突きつけたときは強い反対をしました。
中国もまた日本の二十一か条要求の問題をパリの講和会議に持ち出して日本を批難しました。
このような動きからワシントン会議ではアメリカの意見に各国が賛成して日本・アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・中華民国・ベルギー・オランダ・ポルトガルの九か国の間で新しい条約が結ばれました。
これを九か国条約といい中国の独立と領土を尊び一つの国が、勝手に中国で勢いを伸ばすことはお互いに慎もうという約束です。
これによって、日本は世界大戦中に中国で伸ばした勢いをかなり控えなければならなくなりました。
これは明らかにそれぞれ中国に野心を抱いていた列国が日本を抑えようとしたものです。
日本は、この取り決めに不満を持ちアメリカとの間はこののち、だんだん上手くいかなくなりました。
また、イギリスも日本がこのうえ強くなるのを喜ばず日英同盟は、ワシントン会議のときに止めることになりました。
軍縮会議で、戦艦の数を減らされた日本は巡洋艦や、駆逐艦などの補助艦をどんどん増やしてアメリカやイギリスに負けないような海軍を持とうとしました。
一方、アメリカやイギリスも補助艦を増やしましたので軍備縮小ということは形たけのものになりました。
そして大海軍な持った日本とアメリカが太平洋を挟んでにらみ合うという危険をはらむようになってきました。
しかし、ともかくもこの頃は、なお世界的に平和を守ろうという空気が強く日本でも協調外交といってあまりことをおこさずに各国と仲良くしようという方針をとっていましたので戦争にはなりませんでした。