今回は大戦と日本経済 成金と米騒動について、日本の歴史を紹介します。
好景気から不景気へ
日清・日露の二つの戦争に勝ってすばらしい発展を遂げた日本の産業は第一次世界大戦をさかいとして、また一段と大きな発展を遂げました。
成金
ヨーロッパの国々が戦争に夢中になって東洋にまで、目をくばっていられない間に日本の商品は、どんどん東洋の各地に輸出されました。
また、ヨーロッパの各国も戦争ですっかり産業が衰えたために日本へ商品の注文をもてあました。
このため、工場は次々に広げられ工場を動かしている人たちは面白いようにお金が儲かりました。
そして、あっという間に大金を儲けた人たちを指す「成金」という言葉が大流行しました。
第一次世界大戦中の日本には船成金・銅成金・鉄成金などの成金がぞくぞく狙われたのです。
大戦と日本経済
日本の産業の中でもことに大きな発展を遂げたのは工業と貿易でした。
工業では、とりわけ機械工業と化学工業の発展に目覚しいものがありました。
また貿易では、日本は長い間、輸入超過に苦しんでいましたがここで、にわかに、非常な輸出超過となり
これまでにない好景気がやってきました。
そして、大資本家のもとにはますますお金が集中していきました。
三井・三菱・安田・住友などの財閥が日本のいろいろな産業に勢力を伸ばし、動かすことのできないほど
大きな力を持つようになったのもこの世界大戦のときからです。
米騒動
このように世の中がたいへん好景気になると、それにつれてモノの値段もどんどん上がっていきました。
働く人々の収入も増えはしましたがモノの値段が上がるのにはとても、追いつきません。
都会でも、農村でも裕福な人と貧しい人との開きは、ますますひどくなりました。
しかし政府は、それに対して、よい方法をとろうとはしませんでした。
1918年(大正7年)から米の値段が急に上がりました。
そして、その年の8月には大戦前の値段の約2倍にもなりました。
これは大儲けをしようと考えた商人たちが米の買いしめをしたからです。
そのため全国の大勢の人々が米を買えなくて困るようになりました。
8月3日富山県滑川の漁民の主婦たちは米を積み込んだ伊船が出港するのをとめて米の値段を下げるように
町の米屋へ押しかけました。
この事件なきっかけに東京・大阪・京都・名古屋などでも怒った民衆が米屋を襲いました。
そして、この騒ぎは、ついに39道府県にまで広がり100万人もの人がこれに加わりました。
これが有名な米騒動です。
騒ぎに加わった人々は米屋へ押しかけて米を安く売らせたり、いうことを聞かない米屋の家を壊したり
あるいは火をつけたり、また高利貸しや警察まで襲ったり、とにかくたいへんな騒ぎになりました。
政府は軍隊の力を借りて、ようやく8月20日の大騒ぎを抑えましたが、このためそのときの寺内内閣は
倒れてしまいました。