今回は関東大震災について、日本の歴史を紹介します。
不景気の嵐
米騒動は、世の中が騒がしくなり不安な空気に包まれる前触れのようなものでした。
世界大戦によって好景気となったのは決して本当の景気ではなく、いわば拾い物みたいなものでした。
ですから世界大戦が終わると戦争に関係のある商品は売れなくなり、日本は、にわかにたいへんな不景気に襲われました。
それに、ヨーロッパの国々の産業も次第に立ち直って品物をつくるようになったため日本の商品は、急に売れゆきが落ちてきました。
こうして、1920年(大正9年)ごろから日本の経済の様子は、目立って悪くなりだしました。
そして、多くの商店・会社・工場・銀行などがばたばたと倒れ、町々には職を失った人々が溢れてきました。
こうした社会の不景気から労働者のストライキが盛んとなり農村でも、小作人と地主との争いは、だんだん激しくなってきました。
関東大震災
不景気に襲われていた日本へ、さらに大きな災害が襲ってきました。
それは関東大震災です。
1923年(大正21年)9月1日東京・横浜を中心に襲った大地震とそれによって生じた火災とによって京浜工業地帯はほとんど全滅し、たくさんの家は焼け10万人ちかくの人が死にました。
被害は、そのころのお金で65億円にものぼったといわれ、そのため、不景気は一層ひどくなりました。
銀行が倒れる
このように不景気が続くとせっかく生産した品物は、ますます売れなくなり、ものの値段はどんどん下がっていきます。
こうなると、多くの工場や商店は立ち行かなくなり、従ってこれらの工場や商店にお金を貸していた銀行も金融のやりくりがつかなくなってしまいました。
そして、ついに1917年(昭和2年)には、たくさんの銀行が次々に倒れお金を預けていた大勢いの人々を
苦しめることになりました。
政府もいろいろ方法を考えましたが不景気の原因はもと深く、なかなか解決できませんでした。
いっぽう大銀行は、この機会に立ち行かなくなった中小銀行をあわせて、ますます力を強めていきました。
また大きな会社も経営の苦しくなった会社を合併して一層膨らんでゆきました。
こうして、日本でいちばん大きな資本家たちである財閥が日本の経済を完全に支配するようになったのです。