今回は戦後のアメリカの大不景気と日本について、日本の歴史を紹介します。


アメリカの大不景気と日本

不景気は日本ばかりではありませんでした。

1929年(昭和4年)の秋、それまで発展し続けていたアメリカが突然世界ではじめてと言われるほどの
不景気におそわれました。

これは大戦後アメリカがあまりに産業を推し進めたため生産品があまって売りきれなくなったからです。
そしてこの不景気は、たちまち全世界に広がってしまいました。

不景気に悩み続けた日本はこの大波にのみこまれ、さらに大きくよろめいたのです。

日本にとって、何により大きな痛手となったのは今までいちばんのお得意先であったアメリカが不景気になったため日本から生糸をばったり買ってくれなくなったことです。

このため多くの製糸工場がその生産をとめてしまい労働者は、仕事を失うはめに陥りました。

みじめな農村

そのころ、日本の農業では養蚕がなによりの副業で日本の農家の40%は、養蚕を行なっていました。
そのため、生糸が売れなくなったことは日本の農村にとって、たいへんな痛手でした。

しかも農村の痛手ばかりではありませんでした。

1930年は豊作で、そのために米の値段が非常に安くなり、いわゆる「豊作飢饉」が農村を襲いました。
その上、1931年には東北地方が冷害を受けました。

農村の暮らしはますますみじめになり、とくに東北地方の農家の生活はもはやどん底にまでなってしまいました。

ほうぼうの農村では弁当を持たない学校へ行く子どもや都会へ売られていく女の人が増えました。
また小作料の問題から地主と小作人との争いは一層激しさを増していきました。

暗い日本

都会でも資本家たちは、この不景気を切り抜けるために産業の合理化をはかって賃金を切り下げ、労働者を少なくしてゆきました。

そのため、失業者の数は年々増えるばかりでした。

1930年には400万人、1931年には500万人という人々が仕事をもとめて町にあふれました。

農家のみじめな暮らし労働者の苦しい生活、そして町には失業者の群れ、これが1930年ごろの日本の社会の痛ましい姿でした。