今回は大戦後のアメリカの不景気対策 日本のやり方について、日本の歴史を紹介します。


アメリカの不景気対策

不景気に襲われたアメリカでは大統領ルーズベルトの政治のやり方が成功し、見事にこの不景気を乗り越えました。

ルーズベルトはアメリカの経済の仕組みの悪いところを直し、とくに労働者の生活を高めることに力を尽くしました。

彼はまず有り余った生産を抑え一方では、労働者の賃金を上げて、どしどしものが買えるようにしました。

このため、工場でつくられた品物は国内でもどんどん売れるようになりました。
また、失業者をなくしてしまうために大きな土木工事をはじめました。

有名なT・V・Aの事業はこのとき行われたのです。
そして、国民もこのやり方に喜んで協力しアメリカは次第に景気を取り戻していきました。

日本のやり方

ところが、日本ではどうだったでしょうか。
そのころの浜口内閣はアメリカのやり方とは反対でした。

政府は、労働者の暮らしを高めることはしないで、産業を合理化するということで労働者の首を切り、賃金を安くし働く時間を一層長くしました。

ですから、労働者はますます苦しくなり国内では、製品の売れゆきが下がるばかりでした。

いっぽう外国へは、こうして、値段の安い、質の悪い品物をたくさんつくって売りだすことになりました。

しかし外国は日本のこうしたやり方に高い関税をかけて日本の品物がどんどん輸入されるのを防ごうとしました。

その結果日本の輸出は、いっこうに増えず景気は立ち直るどころではありませんでした。
都会では、労働者の激しいストライキが繰り返され農村でも、小作争議はひどくなるばかりでした。

戦争への道

このように、どうなることかわからない暗い社会のありのままを日本はどのようにして、乗り越えようとしたのでしょうか。

日本が選んだ道は中国大陸へ武力によって進んでいくことでした。

そして、これは戦争へと繋がる道でもあったのです。