今回は政党政治について、日本の歴史を紹介します。

政党政治

議会政治は政党が中心となって進めていくのが本当の姿です。

ところが日本では1890年から議会政治が始まったとはいうものの政党政治は、ほとんど行われていませんでした。

政治の中心は元老にあり総理大臣を決めたり内閣を作り替えたりするのも元老でした。

政党内閣と普通選挙

ところが、世界大戦をさかいとして民主主義の思想は正しい議会政治の考え方が政治家の間にも、また国民の間にも広まっていくと政党内閣の現れるのを臨む声が次第に高まってきました。

このような世論を反対して米騒動で寺内内閣が倒れると1918年(大正7年)9月には政友会の総裁、原敬が総理大臣になりました。

原内閣では陸軍・海軍・外務の三大臣の他はみな政友会の代議士が大臣上なり、ここに本格的な政党内閣が生まれました。

これがきっかけになって日本にもようやく正しい議会政治の時代がきたように思われました。

そして1924年(大正22年)には憲政会の総裁、加藤高明が総理大臣となって内閣をつくり翌年いよいよ普通選挙を行うことが決められたのです。

これでようやく、一般の成人男子は選挙権を持つことができたわけで、これは明らかに世論の勝利といえます。

しかしこのような政党内閣が本当に国民の声を代表していたかというと決してそうではありませんでした。

口では国民のために政治をすると言いながら影では、財閥やそのほか一部の金持ちとあるいは、昔の長州藩(山口県)、薩摩藩(鹿児島県)などから出た実力ある人々と手を握っておりました。

ですから、政党政治しはいっても、その政治は、一部の限られた人々の利益のために動きがちだったのです。

そして、お互いにわいろをやり取りしたり、また汚職事件などが、盛んにおこりました。
待ちに待った政党治が、このような姿であるのを見た国民はすっかり失望してしまいました。

そして、政治や政治家を信用しなくなった人々も次第に多くなりました。
国民が政党政治に希望をもたなくなったときほど危険なことはあリません。

それはやがて独裁政治への道な開くことになったのです。

社会主義運動と治安維持法

世界大戦の後の不景気によって国民の生活は非常に苦しくなりました。

そのため、この暗い社会をなんとか住みよい社会にするためには、社会の仕組みを変えるよりほかはないと考える人々が多くなりました。

社会主義の考え方もこうした動きの中で次第に強まっていきました。

またロシア革命の成功に刺激されて共産主義者も活動をはじめました。
1922年(大正11年)7月には秘密のうちに日本共産党がつくられました。

政治家たちは、世の中のこうした動きを見てたいへん恐れるようになりました。

しかし彼らは、なぜ人々がこのような運動をおこすのかその根本原因については考えようとしないでたた力ずくで、社会主義者や共産主義者たちを取り締まろうとしたのです。

加藤高明内閣が5年に、普選の法律といっしょに治安維持法をつくったのも、これらの社会主義者道や共産主義者を抑え付けるためのものでした。

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