今回は大正時代の文化の動き 女性の活躍について、日本の歴史を紹介します。
文学の動き
文学を見ても、大正のはじめには民主主義や自由主義の考え方が映し出されています。
武者小路実篤・志賀直哉・有島武郎などの白樺派といわれる人々は、この時代の最も人気のあった作家たちでした。
彼らは、大正デモクラシーの空気を文学にうつして人間の自由な心、自然の意志を尊重し文学に、はつらつとした生命力を注ぐことを理想としました。
この白樺派の人々に対し芥川竜之介・菊池寛などという人々は複雑な現実の社会に生きる個人の悩みや
生き方を取り上げて、小説に書き、世のインテリ階級に訴えました。
いっぽう、社会主義の連動が盛んになるとともに、これらに代わって社会主義文学が次第に広まってきました。
また、新聞や雑誌が広く行き渡り、名作や大衆小説が、次々に出版されて多くの人々に読まれるようになりました。
文化生活
この時代になると、都会の人々の中にようやく、借り物でない西洋文化が入ってきました。
文化住宅といって、家の中に洋間を取り入れたり洋服も男子はもとより女子にまで用いりはじめました。
また民衆を楽しませるものとして宝塚の少女歌劇や浅草オペラ・活動写真(映画)などがありました。
また、レコードは1914年(大正3年) に蓄音機が国内でつくられはじめてから全国に広まりました。
1925年(大正14年)はラジオが東京放送局から放送され日本人の生活文化の上に大きな変化を与えました。
もちろん、文化生活とはいってもやはり都会で見られたものであり農村や、漁村では、なお古い生活が続いていました。
しかし、農村・漁村も少しずつ新しくなっていき農具なども、わずかながら機械を用いるようになりました。
のびる女性
教育が広まることによって女性も次第に自分の立場を考えるようになりました。
そして、古い家族制度によってがんじがらめにされていた自分たちの姿に目覚め女性も解放されなければならないと唱える人々が出てきました。
平塚雷鳥を中心にしてできた「青鞜社」という団体も女性の解放を叫んで女性の地位の向上に尽くしました。
しかし、このような動きもごくわずかの婦人たちに限られ一般の女性は、まだ古いしきたりの中に眠っておりました。
いっぽう、この時代には職業婦人として女性で職業について独立するものが多くなってきました。
看護婦・事務員・バスや市電の車掌などに女の人の活躍が目立ちました。