今回は普通選挙とは? 民主主義の広まりと実現した普通選挙について、日本の歴史を紹介します。
普選運動の中断
日露戦争のあと普選運動は一層高まりを見せました。
そして、議会でも取り上げられ1911年(明治44年)には、はじめて衆議院が普選に賛成しました。
ところが、貴族院が反対したため駄目になりました。
それどころか、その前の年1910年(明治43年)におこった大逆事件から社会主義運動や普選運動に対する
政府の取り締まりが厳しくなり普選運動も、一時やめなければなりませんでした。
民主主義の広まり
大正時代に入ると、民主主義の考え方が国民のあいだに広まり政治は国民のために国民が中心となって行わなければならないと主張するようになりました。
役人や軍人が、勝手に政治を行うことに対し強く反対するようになったのです。
1918年(大正7年) の8月から9月、10月と国に広がった米騒動のあと労働者も、農民も、学生も、婦人も
みな普選をもとめて一斉に立ち上がりました。
しかし、そのときの原敬内閣は政党内閣であるにも関わらず普選には、賛成しませんでした。
ただ、制限をゆるめて3円以上の国税を納めている人に選挙権を与えることにしました。
国民は、この改正に満足せずいっそう強く普選をもとめました。
実現した普通選挙
こうした国民の運動は、1925年(大正14年)憲政会という政党の総裁加藤高明の内閣ではじめて、その願いを遂げることができました。
普通選挙の法律が議会で認められたのは1925年2月であり、はじめて普選が行われたのは1928年(昭和3年) 2月です。
しかし、ここで行われた普選も本当の意味での普選ではなかったのです。
といいますのは、第一に女子は全く選挙権が与えられませんでした。
第二に、男子でも24才以下のものはやはり選挙権がありませんでした。
第三に、同じところに6か月以上すんでいるという取り決めがあったため、いつも出稼ぎに出ているような労働者なども選挙権を持つことができませんでした。
このように、多くの制限が付いていたのですから、やはり制限選挙であったのです。
ただ、財産の制限がなくなったという意味で普選といったのです。
本当の普選は太平洋戦争のあとの新憲法の制定によって、実現しました。