今回は五・一五事件について、日本の歴史を紹介します。
軍部のカ
満州事変がうまくいったため軍部はすっかりとくいになりました。
そして、軍部の意見ややり方に賛成する人々も増えてきました。
はじめのうちは、満州の占領にあまりのり気でなかった財閥も満州から大きな利益があがるようになると
積極的に軍部の後押しをするようになりました。
この頃まではまだ政党内閣が続いていました。
軍部の力にひきずられるカの弱い政党でしたが議会も政党も問題にしない軍部の無茶なやり方にときには反対する政治家もありました。
軍部や、軍部と同じ考え方をしている人たちにとっては、こういう政治家が邪魔になってなりません。
そこで、こういう政治家の中には自分たちの気に入らない政治家を倒して自分たちのためになる政府をつくろうと考えるものもありました。
さきに浜口首相が殺されたのも、このような人々によってであり、また1932年には、大蔵大臣井上準之助も同じように殺されました。
五・一五事件
同じ年の5月15日には国家主義者や、若い陸海軍の軍人たちが首相官邸その他を襲い総理大臣の犬養毅を殺してしまいました。
これが五・一五事件です。
これらの人々は、武力を使って政党政治を倒し軍部を中心とした政府をつくろうと考えていたのです。
こうなってはもう政党政治を続けていくことはできません。
犬養首相が殺されたあとには海軍大将の斎藤実が総理大臣となり、原敬内閣から十数年続いた日本の政党政治はとうとう軍部の力の前に、崩れていったのです。
軍部や、軍部の考え方に歩調を合わせていた国家主義者(個人の自由や幸福を重く見ないで国家を最高のものと考える人々) たちは、こうしてますます大きな力をふるうようになりました。
そして、国の政治や軍部のやり方に反対する人々は厳しい取締を受けるようになってきました。