今回は太平洋戦争について、日本の歴史を紹介します。
真珠湾攻撃
なんとか戦争をせずに済ませたいと考える人もなかったわけではありませんでした。
しかし、軍人たちの多くは強く戦争を主張しました。
やがて、そういう軍人たちの代表であった東条英機が総理大臣となり、国の政治を動かすようになりました。
こうなっては、もはや平和の道はありません。
1941年(昭和16年)12月8日日本の海軍はハワイの真珠湾を攻撃しアメリカの艦隊を不意打ちにして、ついに太平洋戦争をはじめました。
満州事変から日華事変となり、さらに日華事変は、アメリカ・イギリスなどを相手とした太平洋戦争にまで広がってきたのです。
日本がアメリカと戦いをはじめるとドイツ・イタリアも約束に基づいてアメリカと戦いをはじめ、いよいよ文字通りの世界大戦になりまとした。
日本・ドイツ・イタリアの三国側は枢軸国アメリカ・イギリス側は連合国と呼ばれました。
日本は中国大陸で何年間も大きな戦を続けていながら今度また、アメリカ・イギリスなどと戦争をはじめたことはなんといっても無茶でした。
長い間の戦争で国の力は弱っていましたし物資もどんどん不足していきました。
こういうときに東南アジアに軍隊をすすめたことがもともと大きな冒険だったのです。
アメリカと戦争をはじめるか、はじめないかを決める会議のとき東条英機は「人間は、たまには清水の舞台から飛び降りることが必要だ」と言ったといわれています。
そのころの軍人も政治家も戦争に勝つ見込みを持っていませんでした。
それにも関わらず、がむしゃらに大きな戦争をはじめたのです。
戦争は、はじめの内は相手の用意が整っていないので、とんとん拍子に勝ち進んでいきました。
日本軍はたちまち東南アジアの主なところを占領しました。
しかし、連合軍がいよいよカを盛り返してくると、それもわずかな間の夢に過ぎませんでした。
1942年(昭和17年)6月日本の海軍が太平洋のミッドウェー島の沖で、アメリカ海軍に敗れ、翌年の2月陸軍がガダルカナル島で敗れてからは日本軍は退却するいっぽうでした。
日本の軍部や政府は東南アジアの資源を内地におくり、それで兵器をつくって戦争を続けようと考えていました。
しかし日本軍が負け始めてからは、せっかく占領した東南アジアとの連絡もたいへん難しくなり戦争を続けるのが、苦しくなってきました。