今回は鎌倉時代の建築様式と肖像画や絵巻物といった美術品について、日本の歴史を紹介します。 鎌倉時代の建築には、天竺様と唐様の二つの建て方がありました。 奈良時代に建てられた東大寺は1180年(治承四年)平清盛の子の重衡の […]
「2014年2月」の記事一覧(2 / 5ページ目)
鎌倉時代の文学の特色とは? 金沢文庫ってなに?
今回は鎌倉時代の文学の特色について、日本の歴史を紹介します。 鎌倉幕府ができてから、政治は武士が動かすようになりました。 そのため、文化の上でも、武士の世らしい力強さがあらわれました。 もちろん、平安時代の貴族の文化が無 […]
鎌倉時代に盛んになった市や行商人とは? 商店が立ち並ぶ!
今回は鎌倉時代に盛んになった市と行商人について、日本の歴史を紹介します。 鎌倉の町は頼朝が住むようになってから、段々賑わってきました。 町の中心は鶴岡八幡宮に通ずる若宮大路で、幕府の建物はその近くにありました。 幕府の屋 […]
鎌倉時代の農民の生活と農業技術は?
今回は鎌倉時代の農民の暮らしと 当時の農業技術について、日本の歴史を紹介します。 鎌倉時代の民衆といえば、ほとんどが荘園の中に住む農民でした。 荘園の中で、地頭やその他の武士は、多くの農民を支配し年貢を取立てたり、いろい […]
鎌倉時代の武士の生活とは? 武芸の道とは?
今回は鎌倉時代の武士の生活について、日本の歴史を紹介します。 この時代に武士と言われる人たちは農村の地主でした。 もちろん、彼らは幕府の御家人ですから、鎌倉の幕府へ出かけたり幕府の指図するところへ出かけたりしますが、やは […]
封建制度とは? 主従の繋がりと固い団結が結ばれる? 鉢の木物語とは?
今回は封建制度について、日本の歴史を紹介します。 鎌倉に住み、武士たちに号令する主君頼朝は、鎌倉殿と呼ばれ頼朝に仕える武士は関東の御家人、あるいは鎌倉殿の御家人と呼ばれました。 この呼び名は北条氏にまで受け継がれました。 […]
持明院統と大覚寺統とは?
今回は持明院統と大覚寺統について、日本の歴史を紹介します。 京都の皇室では後嵯峨天皇の後に、後深草天皇と亀山天皇のニつの血筋が天皇の位について争い、互いに幕府をたよるようになりました。 後嵯峨天皇の後に、まず長子の後深草 […]
貞永式目・御成敗式目とは? 鉢の木物語とは?
今回は貞永式目・御成敗式目について、日本の歴史を紹介します。 義時が死ぬと、その子どもの泰時が執権になりました。 まもなく、政子が死に大江広元も死にました。 泰時は日本の政治を動かしていくだけの力を充分もっているという自 […]
承久の乱とは? 六波羅探題とは?
今回は承久の乱と六波羅探題について、日本の歴史を紹介します。 そのころ京都で院政をしていた後鳥羽上皇は、源氏の血筋が絶えたのを聞いて喜びました。 政治の権力がまた朝廷に戻ると考えたからです。 ところが、政子と義時は三寅を […]
源頼朝が死んだのはいつ頃? 北条時政と政子とは?
今回は源氏が滅びたころの日本の歴史を紹介します。 1198年(建久九年)の暮れ、御家人のひとり、稲毛重成が相模川(神奈川県)に橋をかけその落成式が行われました。 その式に出席した頼朝は、帰り道で馬から落ち、それがもとで、 […]